「かわいい」を横断的に考える――笹木咲はかわいい――

 

最近は、「にじさんじ」の「笹木咲」が「かわいく」て仕方ない。「にじさんじ」というのはいちから株式会社が事業展開する「バーチャルユーチューバー」のアイドルグループの名称と言っていい。「バーチャルユーチューバー」というのは……と説明しだすとキリがないので、「笹木咲」の画像を見てもらった方が早いだろう。

 

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これはおどけた調子の笹木。いかにも彼女は健気だ!

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これは前髪をいじる笹木。”かわいい”自分にこだわる強い意識!

画像は下の動画からの参照。


【3Dお披露目!】みんなほんまーにありがとう。【笹木咲/にじさんじ】

 

まぁ誰が見ても「かわいい」だろう。

私は3Dアバターでの初配信を見たときに衝撃を受け、笹木にハマり込んでいったが、もちろん二次元の立ち絵もかわいいことに変わりない。

私は「かわいい」ものに触れたとき、胸の真ん中がほのめいて、頭がぽかぽかする多幸な心地に入ることがある。性的満足よりも持続し、しかしあまりその状態が続くと呼吸が不足して脳の前部が痛くなるのだが、いずれにせよ「かわいい」がもたらす幸福感は中毒的なそれである。笹木にはいつもそういう心地にしてもらっている。

 

とはいえ、これ以上主観的な話を続けるつもりはない。私が今日話したいのは、「かわいい」の文化的問題と心理的問題の、(その二点の)少し知的な考察である。

 

 

1.かわいいの条件――宮崎(2019)と入戸野の研究を参照する――

 

笹木は髪の色も目の色もピンク色である。

宮崎(2019)の「『かわいい』対象と感情の分類」という論文は、今年の八月に発表されたばかりの心理学に基づく「かわいい」研究である。宮崎(2019)は、かわいい感情を喚起する因子とかわいい感情の種類について、見事に分類化してみせている。

かわいい感情を喚起する因子は次の四つに分類できるらしい。

 

・色彩 : 彩度が高くて明るい色、もしくは明度が低い色(パステルカラーなど)

・ベビースキーマ : 後述する

・ファンシー : メルヘンチックなもの、ロリータファッション、人形といった、「女性らしさ」の認められる文化的なカテゴリー(ベビースキーマという生得的因子ではないことが特徴)

・不気味 : トカゲ、蝶の標本、人体模型など、ネガティブに評価されがちなもの

 

この分類によると、「ピンク色のもの」は「ファンシー」に該当する。つまり笹木のピンク色は、かわいい感情を引き起こす因子として認められるのだ。それも女性らしさという極めて文化的共時的な取り決めにより、規定されてある因子として(この点はあまりこだわる必要はないか)。

 

更に、笹木は見るからに童顔な印象がある……ということは皆、同意してくれるだろう。この点については、「ベビースキーマ」という因子と関連付けることができる。

 

「ベビースキーマ」とは、「かわいい」研究にとって非常に厄介な概念である。

この固定観念と化したベビースキーマと、その権威の超克に取り組んできたのが、現在大阪大学 大学院人間科学研究科の教授を務めている入戸野宏だろう。宮崎(2019)も彼の先行研究の流れを受けている。

 

ベビースキーマとは,オーストリアの動物行動学者Konrad Lorenzが1943年の論文で提唱した概念である. 英語では,baby schema,babyishness,babynessなどと訳され,人間や動物の幼体が持っている身体的特徴をさす. 前田(1983)によれば,(1) 身体に比して大きな頭,(2) 前に張り出た額をともなう高い上頭部,(3) 顔の中央よりやや下に位置する大きな眼,(4) 短くてふとい四肢,(5) 全体に丸みを持つ体型,(6) やわらかい体表面,(7) 丸みをもつ豊頬,といった特徴である. このような特徴を持った生物や模型はかわいらしく(愛らしく)感じられ,周囲の個体の攻撃を抑制し,接近・養育・保護などの行動を受けやすくなると考えられている. Lorenzは,ベビースキーマに対する反応は,遺伝的にプログラムされた内因性のプロセス(生得的解発機構)によるものであり,刺激を持つ要素的な特徴によって生じると提案した.

(入戸野宏「“かわいい”に対する行動科学的アプローチ」,2009,広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究 4巻)

 

このようにわかりやすく説明されているベビースキーマ仮説だが、実際にこの仮説を裏付ける研究が後続したことから、人間の生得的な反応として認められているようだ。要するに、上記の条件を備えたものはかわいい感情を喚起する、というシンプルな説なのだが、この説が支配的になるにつれ様々な誤解が生じてきた(というより、かわいい研究ではこの説に基づいて、かわいい対象の知覚的条件ばかりを研究することが主流になってしまった。それゆえに「かわいい」が、幼児に対する生物的反応として限定的に研究されるにとどまってしまった)。

まず、幼なければそれだけベビースキーマが多い、というわけではない。これまでの研究で、人間の生まれたての赤ちゃんより1歳程度の赤ちゃんの方がより「かわいい」と評価されることがわかっている。

更に、井原なみは・入戸野宏(2011)の「幼さの程度による“かわいい”のカテゴリ分類」(広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究 6巻)によって明らかになったのは、「低幼い×高かわいい」という評価があり得ることである。“笑顔”、“ハート”、“女性”、“パステルカラー”などがその対象に当たる(これらは決して幼くないし、それゆえベビースキーマの要件を満たさない)。即ち、幼いわけではないが「かわいい」と感じられるものがある、ということがわかってきたのだ(例えば、キモかわいい、や、おばさん=幼くはないものに対してかわいいと感じたりすることがある。これは日本文化では極めて常識的なことかもしれない)。こうした入戸野の流れを汲み、宮崎(2019)の研究では、かわいい感情を引き起こす様々な因子のうちの、あくまで一要素として、「ベビースキーマ」を位置づけている。ベビースキーマだけではかわいい感情の全体を掴むことはできないのだ。

 

笹木の可愛さについてだが、二次元のキャラは笹木に限らず、ベビースキーマの要件を満たしているものが多い、ということは直観的にわかる。必要条件ではないが、十分条件として、こうしたベビースキーマの要素が機能し、笹木を「かわいい」と感じさせているのだろう(いちから……そんな狡猾な罠を笹木に仕込んだのか!)

 

さて、宮崎(2019)の研究に戻るが、「かわいい感情」は以下に分類できるらしい。

 

・日常的かわいい : 色鉛筆やたまごボーロなど、日常的になじみのあるものに対してのかわいい

・か弱いかわいい : この中で最もかわいい平均評定値が高かった“最強”かわいい感情。子供などのか弱い存在に対するもの

・独特かわいい : メルヘンチックなものやロリータファッション、牛に向けるかわいい感情

・キモかわいい : トカゲ、蝶の標本、人体模型など一見気持ち悪い対象に向けるかわいい感情

 

独特かわいいとキモかわいいは隣接しているように思われるが、まぁ、この分類を見れば、幼いものに対して抱く「かわいい」のみならず、多様な「かわいい」が存在することがよくわかるだろう。

 

また、入戸野(2009)の「“かわいい”に対する行動科学的アプローチ」の研究では、

 

“かわいい”は,頼りなく,弱く,小さく,緩んで,遅く,軽いといった性質をもち,親しみやすく身近である.

広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究 4巻. 24頁)

 

と分析し、古賀令子の『「かわいい」の帝国:モードとメディアと女の子たち』(2009,青土社)の内容を紹介している。

 

古賀(2009)は, 2000-2006年に松本章氏が女子大生を対象に行った調査を引用し,“かわいいの素”は,丸い(形),明るい(色),柔らかい(感触),あたたかい(温度),小さい(大きさ),弱々しい(構造),なめらか(語感)であると述べている.

 

小さくて丸く、弱弱しい…………しぃしぃ!?

確かに、椎名唯華は赤ちゃんのように柔らかそうだし、目は大きいし、緩んでるし、喋りも遅いし、ファンから“大福”と呼ばれるぐらいには、丸い。更にしぃしぃの基調である白色は、かわいい感情を引き起こす色と言われている。笹木よりも条件が整ってるのか!? 許せない……。

 

 

2.かわいいの機能

 

近年,ShermanとHaidtは,かわいさに対する反応(cuteness response)を,社会や個人への関心や福祉と結びついた道徳感情として捉える仮説を提案した. かわいいと感じることは,保護や養育に関係するというより,相手に社会的価値を認め,交流しようという動機づけを高めるものであるという. このとき相手に心的状態を認めるメンタライジング(mentalizing)の傾向が強まる. 動物や人工物を人間のように扱う擬人化もメンタライジングの一種である.

(入戸野宏「かわいさと幼さ : ベビースキーマをめぐる批判的考察 <解説>」2013, VISION. 25巻)

 

ベビースキーマ説では、かわいいという感情は子供の養育という生物的役割を促し、助長する機能を持つと、捉えられていた。しかし入戸野は、かわいい感情が「保護したい」「困っていたら助けたい」といった養護動機を引き起こすというより、その対象を「そばに置いておきたい」その対象に「近づきたい」といった接近動機を引き起こす感情とみなすべきだと主張している。実際に「かわいい感情」が養護動機よりも接近動機に関連していることを、論文「対象の異なる“かわいい”感情に共通する心理的要因」(井原なみは・入戸野宏, 2012, 広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究. 7巻)の中で明らかにしている。

かわいい感情が接近動機を高め、その対象との交流を促進するものであるなら、このような人間の機構を、デザインや産業の分野でも活かすことが出来るだろう。実際にそうした取り組みは既に始まっている。かわいいものに触れた後は集中力が高まるという研究もあり、デザインとして取り入れることで自動車の運転などにも活かせるのではないか、アニマル動画を流すことで仕事の効率化が可能ではないかといった話があるらしい。また、かわいいものを傍に置いておくと、街頭アンケートに答えてもらいやすいという調査結果もある。自治体のゆるキャラなどもこうした機能を利用しているのだろう。私もいずれ、いちからの策略により、笹木咲を通じてお金を落とす羽目に陥ることは想像に難くない。

「かわいい」はこうした機能の発見もあって、商業化されている。カワイイが人を引き付けるなら、それを利用して金を稼げる。自国の「カワイイ文化」を対外的にアピールして、マーケットを作ろうというわけだ。2009年には外務省がポップカルチャー発信使、通称「カワイイ大使」を任命し、日本ファッションの海外発信を行った。NHKは2008年から2013年まで「東京カワイイ★TV」を放送。日本のカワイイ系ファッションを発信し続けた。2010年には経済産業省に「クール・ジャパン室」が設置され、国策の一つとなった。更に2012年の第二次安倍政権では、稲田朋美が初代「クールジャパン戦略担当大臣」となる。翌2013年には375億円を集めてクールジャパン機構が設立される。「クールジャパン」の名の下、日本のカワイイ文化は海外へ発信され、市場が本格化していく。2017年に設立されたいちから株式会社は「魔法のような、新体験を。」と宣って、かわいいを利用したYoutuberビジネスを進めている。「萌え」ビジネス、恐ろしや……

嫌味な書き方になったが、最初に引用した文章にあるように、かわいいはその対象に社会的価値を見出し、ポジティブな関係を構築する上で重要な感情となり得る。この心理学的な知見は、一旦、価値中立的なものとして認めておく必要があるだろう。それをどのように利用するかは、二次的な問題である。

 

 

 3.かわいい文化を批判する――西村(2015)の「かわいい論試論」に同意しつつ――

 

どんな事象に対しても、それを肯定的に捉えるか、或いは批判的に捉えるかで、スタンスを大別できる。かわいいに対して、私は後者を選び取りたいと思う。

笹木咲が大好きで、配信を追いかけ、少し前には『邪神ちゃんドロップキック』のゆりねちゃんが好きになり、ゴスロリファッションに身を包んだ赤髪キャラという最高の取り合わせに萌えを見出してはアニメを二周した男が、かわいいを批判するとは、一体どうしてしまったんだ!

だが、私は、かわいい病とも言うべき、自身のかわいい熱に延々とうなされたからこそ敏感になったのだ。「カワイイ」に対して……。看過できない政治性が、そこにあるようだ。

 

私が随分驚いたのは、かわいいについての論評で、楽観的な意見が多いことだ。

例えば、情報処理学会の学会誌『情報処理』(2016年)に掲載された特集記事を見てみよう。

学習院大学政治学科の教授・遠藤薫氏の書いた記事である。(リンクはページ下部に有)

まず、英語の「cute」には「利口な」「知的な」というニュアンスがあり、か弱きものへ使うことのある(というよりそれが主である)日本語の「かわいい」という言葉に完全に対応しているわけではない、という話から始まる。外国語ではそのような関係を言い表すことができないので、「Kawaii」が外国の辞書に登録されるようになったという。

 そしてそこから、日本独自の「かわいい」概念がどういう文化的諸相に見られるかを紹介していく。招き猫は近代化により神への信仰が変質する中で生まれた、かわいいキャラクターであるという話は、なかなかに面白い。そして竹久夢二は西欧のジャポニズムの延長にあり、アメリカが生んだキューピーは東洋文化から影響を受けているという話になる。つまり現代の「かわいい」ものは、一旦西洋を通過していたり、西洋に影響を与えた結果生まれたものが、いわば逆輸入されていたりするという話だ。

そこで出てくるのがこの図である。

 

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『情報処理』57巻 2号,121頁より

 

言い方は悪いようだが、企業理念か何かのようにしか見えない。「常に外部と融合し、新たな創造を繰り返す」、なるほど、きれいな言葉だ。要するに西洋は理性主義で階層的だが、日本の「カワイイ文化」はそれに抵抗する異質な価値観であり、平和的に外部を吸収していく文化であるから、積極的にこの強みを発信していくべきだという趣旨である。

 

『繊維学会誌』66巻7号(2010) には竹内忠男氏の記事が載っている。

こちらも基本は、「かわいい」に日本文化を認め、西洋に対する土着性としての「かわいい」を推進する論である。どうやらこうした論旨は、四方田犬彦の『「かわいい」論』筑摩書房(2006)と、宮元健次の『日本の美意識』光文社新書(2008)から由来しているようである。

彼らが言うには、日本のカワイイの始まりは、あの清少納言の随筆『枕草子』にあるらしい。少し長いが、145段「うつくしきもの」の現代語訳を引用しよう。

 

かわいらしいもの。瓜にかいてある幼い子どもの顔。すずめの子が、(人が)ねずみの鳴きまねをすると飛び跳ねてやって来る(様子)。2、3歳ぐらいの子どもが、急いではってくる途中に、ほんの小さなほこりがあったのを目ざとく見つけて、とても愛らしい指でつまんで、大人などに見せた(様子)。髪型を尼のように肩の高さで切りそろえた髪型である子どもが、目に髪がかぶさっているのをかきのけることもしないで、首をかしげて何かを見ているのなども、かわいらしい。

大きくはない殿上童が、美しく着飾らせられて歩くのもかわいらしい。かわいらしい様子の子どもが、ほんのちょっと抱いて遊ばせかわいがっているうちに、しがみついて寝たのは、とてもかわいらしい。

人形遊びの道具。蓮の浮き葉でとても小さいのを、池から取り上げたもの。葵の大変小さいもの。何もかも、小さいものはみなかわいらしい。

とても色白で太っている子で2歳ぐらいになるのが、紅花と藍で染めた薄い絹の着物などを、丈が長くて袖を紐で結びあげたのが這ってでてきたのも、また短い着物で袖だけが大きく目立っている様子で歩いているのもかわいらしい。8、9、10歳ぐらいになる男の子が、声は子どもっぽくて読書をしているのは、大変かわいらしい。

鶏の雛の、足が長く、白くかわいらしい様子で、丈の短い着物を着ているような姿で、ぴよぴよとやかましく鳴いて、人の前や後ろに立って歩いているのもかわいらしい。また親(鳥)が一緒に連れ立って走っているのも、皆かわいらしい。雁の雛。瑠璃の壺(もかわいらしい)。

マナペディア https://manapedia.jp/text/1668 2019/11/6確認 より

 

学校の授業で習ったような習ってないような気がするが、確かにかわいらしいものを列挙している。古語の「うつくし」にはかわいいという意味があったという。

更に、かわいいの語源は「かわ-はゆ・し【顔映】」であり、「はずかしい。良心がとがめて顔が赤らむようだ」精選版 日本国語大辞典という意味であった。

 

このように“かわいい(かわゆい)”は,もともと“気がひける”,“恥ずかしい”という意味であり,(……)中世(鎌倉時代から安土桃山時代)には“見るに忍びない”の意から気の毒で不憫という意味で用いられた. 中世後半に,女・子どもなど弱者への憐みの気持ちから発した情愛の念を示す意が派生し,近世(江戸時代)になると“かわいい”という変化形が生じた. 近世後半では不憫の意は消失して,愛らしいの意のみとなり,さらに愛すべき小さいさまという属性形容詞の用法も出現した. 原則的に目上の者が目下の者に抱く情愛を示す表現であり,目下の者から目上の者への情愛を示すには“いとしい”が用いられた.

(入戸野宏「“かわいい”に対する行動科学的アプローチ」, 広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究 4巻. 21頁)

 

「気の毒で不憫」の意味があっただって!?

「かわいそう」という意味が昔、「かわいい」にあったということだろう。笹木咲は、マリオパーティーでワルイージにいじめられたり、マインクラフトでロクサスというペットを水死させてしまったり、オンラインクレーンゲームで人に割り込まれ、多額をつぎ込んだ目当ての品を横取りされたりと、不運で不憫なキャラとして通っている。不憫かわいい。そう。不憫であることが、かわいい感情を刺激するのだ! 宮崎(2019)が分類したところの「か弱いかわいい」である。あはれで、いじらしい笹木は、見事にかわいいの核心を押さえていたわけだ! これは驚き。笹木の萌え戦略、なんてしたたかなんだ……。

 

というのはさておき、彼ら(宮本や四方田)はこうした語源を肯定的に解釈する。つまり、「かわいい」とは「未完の美」に通じる日本人の美意識であると。西洋では大人は子供になるための過程であるが、日本人は小さきものや未熟なものに向けて「かわいい」というポジティブな価値を認め、発達段階的な成長の神話を拒否する点が、西洋を相対化しうる独特の日本的心性なのだと。そして、弱者や価値がないとみなされているものに向けて、かわいいと感性的に評価することで、そうした弱者を捉え直す価値転換の役割を担っている。未完であることを尊び、はかなさに価値を見出す日本人の美学が、かわいいにも通底しているというお話だろう。

先ほど挙げた図の中で言うところの、「弱いものへの愛と包摂」である。

 

 そういう風に言われると、何だか「萌え」や「かわいい」が“尊い”感情にも思えてくるが、私にはどうも楽観的で、胡散臭い筋書きに読めてしまう。

遠藤(2016)の図にある、「弱いもの、対抗するものへの愛と包摂」、「対立ではなく微笑み」という綺麗すぎる言葉……。

 

その胡散臭さを言語化するために、海外への萌えコンテンツの発信を「パブリック・ディプロマシー」「ソフトパワー」という概念で捉える必要があるだろう。

外務省の「よくある質問集」のページには、その用語のわかりやすい説明がある。

 

広報文化外交 | 外務省

 

要するに、自国の文化を他国に輸出し、軍事力ではなく文化という力によって、その国との外交を円滑に進めるということだ。その国の大衆に日本文化を広報することにより、日本との心理的距離を近づけ、「親日的」な大衆を作ること。そうした地ならしによって、自国の外交を有利に進めることができ、利益に資することができるわけだ。

このような概念のもと、「Kawaii文化」を眺めてみると、「弱いもの、対抗するものへの愛と包摂」という言葉が、権力を帯びて見えてくる。間違いなく「包摂」はしているのだ。しかし「包摂」とは、「ソフトな支配」の言い換えではないか。そして「対立ではなく微笑み」というが、その微笑みとは、自己を脅かさないよう相手を丸め込み、相手をおもうままにコントロールしようとする、“抑圧”の仮面ではないか。みんな仲良くしよう!と呼びかけ、場を均質化し、対立する意見を、一方の支配的な意見の側へ「穏やかに」回収してしまうあの欺瞞的な微笑み。その微笑みこそが、かわいいの持っている微笑みなのではないか。

 

 「例えば、不憫なゆえにかわいいとか、気持ち悪くてみなに相手にされなくてかわいいとか、いわば上から目線の支配的な心情がそこに見え隠れする」と言い放つ西村(2015)の論は、遠藤(2016)や竹内(2010)の楽観的な日本文化論よりも、よっぽど正鵠を射ているように思う。

 

西村美香氏は、「かわいい論試論」の中で、かわいいに対し、大胆ながらも、「支配欲(もしくは庇護欲)」「ご都合主義的政治的用語」「商業的うまみ」の3点から批判している。

 

 例えば「商業的うまみ」という観点でいうと、「今日の『かわいい』がこれまでの日本の美学といわれた『わび、さび』などと決定的に違うのは、それが商業的展望をもち大きな利潤を生みだす核となっていることだ。(……)これまでの日本伝統文化とは異なり『かわいい』はまったく高尚ではない」(135-136頁)と述べている。「高尚ではない」というのは、「かわいい」を日本古来の高級な美学として価値づける論者への批判であろう。

しかしこの文章の中では何といっても、「支配欲」についての語りが面白い。

 

誰も相手にしないが自分だけが良さを分かり、自分だけがチョイスし、自分が救ってあげることで、そこに愛情が生まれ、「かわいい」感情が芽生えるのである。それは対象物をまるで所有物のように自分の配下に置き、上から見下すかのような感情ですらある。(……)そして「かわいい」はそれを言われたものは、そこに上から目線や、見下した(ときには馬鹿にしているような)感情を読み取りながらも、「かわいい」が本質的には褒め言葉であるため、言われて居心地の悪さを感じることはあっても侮辱していると怒るほどのものではないと言われるままにひきさがる。(……)この状況は、白黒をはっきりつけたがらない、ときには奥ゆかしくそしてまわりくどい、人間関係を円滑に進めようとする日本人の心情にぴったりなまさに日本的思考である。(134-135頁)

 

厳しい見解だが、かわいいには「支配ー被支配」の関係がある、という指摘は同意できる。この文章の後には、女性が主体となってかわいいの支配ー被支配関係を利用し、誰かの庇護の下に入ろうとする実態をも指摘している。自らかわいいキャラとなることで、人に依存し、人間関係において都合よく振る舞える余地を確保する。そうした支配ー被支配のシステムの稼働する「かわいい」制度を、上手に使い、取り入ろうとする女性の姿。自己を「かわいい」に適合することで、「甘え」ることができるばかりでなく、好意的な評価を利用し、社会での地位を獲得していく。

これは女性に否があるのではない。むしろ、女性にかわいいを付与して、被支配に置こうとする、男性優位の構造が、女性をそういう風に生きさせていると言える。つまり「かわいい」は、どこかで女性差別と繋がっている。

かわいいには「か弱いかわいい」という分類があったことを思い出そう。基本的には、自分に危害を加えたり、脅かしたりするような対象に、かわいいという感情を抱きはしない。女性を「かわいい」ものだと社会一般の言説が評価する限り、女性は「か弱く」「脅かさない」存在として定位され、認知される。「かわいい/かわいくない」が女性評価における優位な審級となることが、それ自体で、女性への抑圧として機能しうる。かわいいと評価する主体が、男性であれ女性であれ、その規準を受け持っているのが女性や子供である限り、力あるものに馴致される、被支配の側へ回らざるを得ないのではないか。

 

また、「かわいい」が、弱きものにポジティブな価値を見出す、価値転換のシステムであることに注意するなら、以下のストーリーが考えられ得るだろう。

一定の時代まで、男性に視られるフィギュアであった女性が、社会に進出しようと、そしてそこで自立的に生きようとして生み出した、アイデンティティ確保の手段。女性という弱い存在をポジティブに捉えようとして、「かわいい」を負担するようになった(かわいいを自らのものとして受け入れ、使役し、社会的価値を高めようとした)女性は、その次に、その語が上から下への情愛を伝統的に示す言葉であるという事実に直面しなければならなかった。つまり、情愛を差し向けられる対象へと、結局は収まらねばならなかったという悲劇。たとえ「かわいい」を女性が他者・他物へ使うようになったところで、その担当を逃れられるわけではない。視られ、評価される対象であることを、依然として受け入れねばならないわけだ。

カワイイ文化の発信者は、海外や市場を相手にしているようだが、寧ろ見つめるべきは、この文化に内在する、差別構造の拭い難さではないだろうか。

このあたりの考察を、今後、探求していきたいところである。

 

 

 

【引用文献】

 

入戸野宏(2009). “かわいい”に対する行動科学的アプローチ 広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究. 4巻.

doi.org

 

井原なみは・入戸野宏(2011). 幼さの程度による“かわいい”のカテゴリ分類 広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究. 6巻.

doi.org

 

井原なみは・入戸野宏(2012). 対象の異なる“かわいい"感情に共通する心理的要因 <短報> 広島大学大学院総合科学研究科紀要. I, 人間科学研究. 7巻.

doi.org

 

入戸野宏(2013). かわいさと幼さ : ベビースキーマをめぐる批判的考察 <解説> VISION. 25巻, 2号.

ir.lib.hiroshima-u.ac.jp

 

宮﨑拓弥(2019). 「かわいい」対象と感情の分類 北海道教育大学紀要. 教育科学編. 70巻, 1号.

s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp

 

遠藤薫(2016). 「カワイイ」の哲学 ―その歴史的パースペクティブと現代的意義― 情報処理. 57巻, 2号.

id.nii.ac.jp

 

竹内忠男(2010). 世界に発信する若者ファッションと文化—世界に謳歌する日本の「かわいい」ファッション、その意味するところとは— 繊維学会誌. 66巻, 7号.

doi.org

 

西村美香(2015). かわいい論試論 明星大学研究紀要人文学部. 51号.

id.nii.ac.jp

 

 

【参考図書】

 

古賀令子『「かわいい」の帝国:モードとメディアと女の子たち』(2009, 青土社

「かわいい」の帝国

「かわいい」の帝国

 

 

四方田犬彦『「かわいい」論』(2006, 筑摩書房

「かわいい」論 (ちくま新書)

「かわいい」論 (ちくま新書)

 

 

宮元健次『日本の美意識』(2008, 光文社新書

日本の美意識 (光文社新書)

日本の美意識 (光文社新書)